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婚約破棄された悪役令嬢の私は前世持ち。断罪の舞踏会で王太子ざまぁしたら、腹黒宰相様に溺愛求婚されました
婚約破棄された悪役令嬢の私は前世持ち。断罪の舞踏会で王太子ざまぁしたら、腹黒宰相様に溺愛求婚されました
Auteur: 夢見叶

第1章 第0話 断罪の舞踏会、宰相ルートへ

Auteur: 夢見叶
last update Date de publication: 2026-01-21 20:52:15

 婚約を破棄する、だなんて。よりによってこの曲の最中に宣言なさいますの?

 白薔薇の香りが、息をするたび肺の奥まで刺さる。王城の大広間は、天井から垂れた花飾りと硝子の燭台の光で昼のように明るい。その祝祭の中心で、わたくしは王太子アルノルト殿下の手を取ったまま、足を止めた。

 音楽はまだ流れている。けれど、会場の空気だけが先に凍った。

「レティシア・エルネスト。貴様との婚約をここに破棄し、王家の名のもとに断罪する」

 そう、それ。聞き慣れた台詞。前世で何度も見た、断罪イベントの口火だ。

 わたくしの脳内には、存在しないはずの選択肢が並ぶ。逃げる。泣く。縋る。悪あがきする。どれを選んでも、最後は追放と死。そんな筋書きだった。

 だから、わたくしは笑う準備をしていた。泣き叫ぶより、笑って舞台を壊した方が、ずっと現実的だと知っている。

 殿下の腕の向こう、花束のように守られた位置に、マリア様が立っていた。淡い薔薇色のドレス。庶民出身の少女が、今夜は物語の主人公の顔をしている。

「レティシア様は……私を、ずっと苦しめてきました。学園でも、皆さまの前でも」

 震える声。潤んだ瞳。会場のため息が、同情の波になって押し寄せる。

「やっぱり、あの侯爵令嬢は」

「殿下が可哀想だわ」

 囁きが連鎖し、わたくしの背中に刺さる。舞踏のステップはまだ頭の中で規則正しく刻まれているのに、現実の床だけが頼りない。

 殿下の背後に数名の貴族が並んでいる。胸元の飾り、指輪の彫り。薔薇を模した意匠が、妙に棘立って見えた。

 ここで取り乱したら、相手の思うつぼ。そう分かっていても、胸の奥で熱いものが跳ねる。前世の画面越しではなかった。今夜は、わたくしの名を呼ぶ声が、肌に触れる。

「レティシア。言い訳はあるか」

 殿下の声は甘くない。勝ちを確信した者の声だ。

 わたくしはカーテシーの形を崩さず、唇だけで微笑んだ。

「言い訳、ですの?」

「貴族らしく取り繕うな。お前はマリアをいじめ、学園の評判を汚し、私を惑わせた」

 惑わせた、とは便利な言葉だ。殿下の怠慢も遊びも、全部その箱に放り込める。

 わたくしは小さく首を傾げる。悪役令嬢の仮面を、丁寧に被り直す。

「まあ。わたくし、そこまで器用に悪役が務まるほど暇ではありませんの」

「なにを……」

「殿下が“惑わされた”とおっしゃるなら、現実の帳簿をご覧になってはいかがでしょう」

 会場がざわめく。帳簿。舞踏会に似つかわしくない単語が、白薔薇の香りに混ざった。

 わたくしは胸元の飾りに見せかけて、細い封筒を指先でつまみ取る。指が震えないように、踊りの所作のまま。

「こちら、王城法務局に提出済みの婚約解消願いの控えでございます。殿下にも先月、副署して頂きましたわね」

 殿下の眉が、滑稽なほど動いた。破棄する側だと思っていた顔が、破棄される側の顔に反転する。

「……は?」

 ああ、いい音。会場の空気が、ほんの少しだけ軽くなる。わたくしの中の恐怖が、別の形に変わる。怒りでも悲しみでもない。手応えだ。

「わたくしは、筋書き通りに転ぶほど、退屈な女ではありませんので」

 口に出した瞬間、遠い場所で誰かが息を呑むのが聞こえた気がした。

 殿下は封筒を奪うように受け取った。紙の擦れる音が、楽団の旋律を切り裂く。

「偽造だ」

「そうお考えなら、法務局に照会なさって」

 わたくしは次の札を、間を置かずに切る。踊りの最中に、相手の足元へ視線を誘導するのと同じだ。

「そして、こちらは学園の寄付金と、殿下の私的支出の照合表です」

「寄付金?」

 誰かの声が上ずった。社交界は甘い噂で回っているようで、金の匂いには正直だ。

 わたくしの背後に控えていた侍女が、用意していた薄い書類束を差し出す。これは偶然ではない。学園の会計監査に口を出せる立場を、わたくしは時間をかけて作った。

「この印は、殿下の名義で支払われた記録。こちらは、同日に学園の口座から抜けた記録」

「……黙れ」

 殿下の足が乱れる。ステップの基礎もない人間が、舞踏会の中央で踊り切れるはずがない。

 マリア様が、殿下の袖を掴んだ。

「殿下、そんな……レティシア様が、私たちを陥れるために……」

 陥れる。そう、いつもそうだ。悪役は主人公の都合に合わせて悪意を供給する存在でなければならない。

 わたくしはマリア様の目を見た。憎しみではなく、悲しみでもなく、ただ確認する視線で。

「マリア様。わたくしがあなたを陥れるなら、なぜあなた宛ての送金記録が、あなたの手元の領収書と一致するのでしょう」

 マリア様の唇が開いたまま止まる。そこにあるのは善悪ではない。数字だ。

 会場の隅で、さきほど薔薇の意匠を身に付けていた貴族たちが、互いに目配せをした。ほんの僅かな動き。けれど、舞踏の合図のように揃っていた。

 楽団の指揮棒が宙で止まった。旋律が、ぷつりと途切れる。

 その静寂の中、玉座前の段上から、国王陛下の低い声が落ちた。

「宰相。報告は聞いている。まずは、当事者を押さえよ」

「御意」

 黒と白の礼装が、音もなく前へ出た。銀縁眼鏡の奥の瞳は、感情より先に盤面を読む。

 宰相クロード・フォン・ラグランジュ様。

 殿下派にとっては冷酷な壁。わたくしにとっては、味方かどうかも測り切れない巨大な刃だ。

「宰相として申し上げるなら、反対です」

 淡々とした声が、殿下の勝利宣言を塗り替える。

「殿下の断罪は、法的根拠が薄い。対して、侯爵令嬢レティシアが提示した書類は、提出先と日付が揃っている」

 書類という単語で、会場の貴族たちが少しだけ現実へ戻る。夢の舞踏会は、いつだって紙で終わる。

 護衛が踏み出し、殿下の両腕を押さえた。

「放せ! 父上! これは陰謀だ!」

「陰謀なら、なおさら取り調べが必要だろう」

 国王陛下の声は、父ではなく王のそれだった。

「王太子アルノルトを拘束せよ。マリア・ベルも同様だ」

 マリア様が青ざめる。涙がこぼれた。けれど、涙は免罪符ではない。

 わたくしの背中に刺さっていた視線が、別の形に変わっていく。恐れ。驚き。警戒。羨望。人の評価は、踊りよりずっと忙しい。

 殿下が連れて行かれる途中で、クロード様が視線をわずかに横へ流した。殿下の背後に並んでいた貴族たちの方へ。

「王太子殿下の背後にいる者たちも、いずれ整理せねばなりますまい」

 たったそれだけ。名指しもせず、理由も述べない。なのに、薔薇の意匠が急に重く見えた。

 そしてクロード様は、陛下の前で膝をつき、次の言葉を落とした。

「陛下。侯爵令嬢レティシア・エルネストとの婚約を求めます」

 会場の息が止まった。今夜の音楽は、もう戻らない。

 わたくしの中で、破滅の恐怖が別の恐怖に塗り替えられていく。自由を掴んだはずの手に、別の鎖が掛かろうとしている。

 けれど、その鎖は金色でも銀色でもなく――黒い。理屈と政治で編まれた、宰相の鎖だ。

 目の前の男は、わたくしの悪役の仮面を見破っている。いや、見破った上で利用しようとしている。そう思った瞬間、胸の奥が熱く震えた。怖いのに、目が逸らせない。

 クロード様が立ち上がり、こちらへ向き直る。差し出された手袋の白が、白薔薇の光を反射した。

「返答は明日正午までで構いません。今夜は、ここで倒れないことだけを優先しなさい」

 その声は命令に近いのに、不思議と息がしやすくなった。

 わたくしは、差し出された手を見つめた。あの攻略画面には、こんな選択肢はなかった。

 ここから先は、攻略サイトにも載っていなかった“宰相ルート”だと、わたくしは理解してしまった。

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